【衝撃】上原浩治の嫁と子供や、大学受験の壮絶人生が明らかに….!!


(http://number.bunshun.jp/articles/-/828524)

メジャーで長年活躍している

上原浩治ですが、嫁は一体誰なのでしょうか!

そして上原浩治の若い頃の壮絶な人生についても、

もっとみなさん知るべきだと思います!

プロフィール


(https://twitter.com/hashtag/)

出身:大阪府寝屋川市

誕生日:1975/4/3

身長:188cm

体重:88kg

プロ入り:1998年(ドラフト1位)

出身高校:東海大学付属仰星高等学校

出身大学:大阪体育大学

初出場:1999/4/4

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

上原浩治の嫁は元レースクイーン….!!

2009年よりメジャーリーグに渡り、

2013年にはレッドソックスでワールドシリーズ制覇に貢献。

ワールドシリーズの胴上げ投手となりました。

メジャーに渡った日本人として最も成功した人物の1人ですね。

そんな上原浩治ですが、

2004年に元レースクイーンの山崎美穂さんという方と結婚しています。

お相手の写真がこちらです。


(http://www.rqueen.com/00/00n1/00n150.htm)

この左側の女性がそうですね。

2人は2003年にFRIDAYによるスクープで

熱愛交際が発覚しました。

ちなみに上原は美穂さんと交際する以前は

スチュワーデスと交際していたようですね。

 『FRIDAY』によると上原は、2000年ごろからスチュワーデスの別の女性と付き合っていたとのこと。スチュワーデスの女性とは、実家も公認であり、真剣な交際だったと書かれています。しかし、その女性とは2003年の3月に破局してしまいました。

しかし、そこは巨人で活躍するプロ野球選手。その後すぐに新しい彼女が出来たそう。そして、この新しくできた恋人こそが、現在は妻である山崎美穂さんでした。『FRIDAY』では、上原の関係者を名乗る人がこのようにコメントしています。

「彼女は英語が堪能です。上原は将来の海外移籍という野球人生を踏まえ、結婚を考えているとの噂もあるようだよ」

2003年のときにはあくまでも「噂」だったようですが、その後本当に結婚し、メジャーへと移籍したのですからなんとも凄い話ですよね。

(https://www.excite.co.jp/News/90s/20151205)

美穂さんは元々芸能界に身を置いており、

ビール会社のキャンペーンガールや、

レースクイーンを勤めていたそうです。

上原と出会った時にはすでに芸能界からは引退しており、

巨人関係のWebの仕事についていたそうですね。

上原と美穂さんは何らかの食事会で出会ったそうですね。

ちなみにお子さんも1人おり、

一真くんという名前らしいです。


(https://matome.naver.jp/odai/2138271144366615001)

これはワールドシリーズの時にとった写真ですね!

この一真くんは実は海外では人気者になっているそうです。

それはワールドシリーズで上原が胴上げ投手になった時の

一真くんのインタビューが要因だったそうです。

 上原がMVPを獲得したリーグ優勝決定シリーズで、上原と共に表彰台に上った7歳の一真クンは、「パパは吐きそうだったって言っているけど、パパが投げている時はどんな気分だった?」と質問されると、「アイ・ドン・ノー(さあね)」と回答。「見ていて(パパみたいに)吐きそうにならなかった? それとも興奮したかな?」と尋ねられたら、すぐに「(アイム)エキサイテッド(興奮した)!」と元気に答えた。

(https://newsmatomedia.com/uehara-koji)

もう英語が喋れるのすごいですね〜。

多分日本語と英語両方ペラペラですよね!

英語は通を雇っている上原よりもペラペラだと思います!

そんな上原家族でした。

上原のプロ入りまでの人生がすごかった…

上原を語る上で欠かせないのが

大学受験失敗からプロ入りまでの期間ですね!

上原の高校時代は、のちに日ハム・レンジャーズで活躍する

建山義紀が同級生におり、その控えばっかりだったそうです。

将来プロに行く気はほとんどなく、

体育教師になるために大阪体育大学の受験を試みます。

上原はこの時運動能力、学力ともに

合格ラインは超えているだろうと思っていましたが不合格。

この時のショックは今でも忘れられないくらい強烈だったらしいです。

そして浪人して再度受験することを決意し、

隣町の予備校に通いながらジムでトレーニングを続けます。

さらに家計への負担を減らすために、

道路工事のアルバイトもしていたそうです。

この時のアルバイトのおかげで上原は

相当メンタルが強くなったと後に語っております。

そして1年の浪人の末大阪体育大学に合格し、

1年半ぶりの投球では146km/hを記録したそうです。


(https://www.tokyo-sports.co.jp/sports)

そして大学4年間では36勝をあげたり、

ノーヒットノーランを達成したりと大活躍。

ドラフトでは松坂大輔と並ぶほど注目され、

メジャーからも声がかかるようになりました。

 大学2年の時から熱心に勧誘し続け、他球団が松坂獲得を狙う中でも一貫して上原を熱望していた巨人が、巨人ファンだった上原の父親をまず説得。その後、本人が悩んでいるときに、父親から誘われ同行すると、その場にいたのが、当時巨人の監督を務めていた長嶋茂雄だった。

本来、ルール上ではプロ監督とアマチュア選手の接触は禁止されてはいるが、「抜け道」の形で「偶然に顔を合わせ、同席した」。上原本人は喜ぶどころか逆に困惑し、父が巨人ファンであることを知っていただけに「巨人って、そこまでやるのか…」という気持ちが膨らんだ。上原は迷いながらも巨人を逆指名し、1位で入団した。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/)

そして上原の入団時の背番号19は、

浪人を経験した19歳の時の気持ちを忘れない

という思いを込めてのこの番号だったらしいです。

ちなみに余談ですが、上原は自叙伝の中で、

巨人は真っ黒なのでもう2度と戻りたくないと語っております。

いろいろあるんですねー。

そんな上原浩治でした〜!

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